こだま通信37号 2006年1月9日
新しい年が明けました。昨年中はこだま通信をご愛読いただきありがとうございました。本年もま
た宜しくお願いいたします。
渡来人伝説(高麗家のルーツ)X
今年も昨年に引き続き”高麗家のルーツ”を続けたいと思います。そろそろ話題も尽きてきたのですが、昨年の11月に韓国に行った際に”韓国戦争博物館”を訪れる機会があり、倭寇に関する展示も見たりすることができましたので、日本と朝鮮半島の交流に関する知見を広げることができました。また、作家金達寿の著作なども正月休み中に読み終えましたので、最初のころよりは頭の中がだいぶ整理されてきました。高麗家のルーツに関するネットサーフィンの結果については、別途ホームページを追加する予定ですので楽しみにしていてください。
この間の新しい発見は日高市の高麗神社に隣り合っているお寺、聖天院が在日韓国・朝鮮人の心のよりどころになっていることです。最近、先の戦争や災害の犠牲になった韓半島や在日朝鮮人の慰霊碑が聖天院境内に建立されたことを知りました。その開眼式典の式辞を述べた人は河正雄という在日韓国人文化芸術協会長の経歴を有する方です。聖天院の住職は建立に積極的に関わり完成を助けました。聖天院の檀家の人々(多くは高麗家の子孫にあたる)は別に本殿の新築のための資金を何十万円の単位で拠出し、それは豪華な寺院の建設を支えています。この話は地元の何人かのかたに伺っていますので間違いありません。その細工は現在の美術建築の水準をふんだんに取り入れ
たものになっているそうです。(因みに現住職は東京芸大出身とのことです)
高麗王若光(こまこしきじゃっこう)の墓が聖天院にあるということはすでに書いたと思います。また、高麗王若光を祭神とする高麗神社の現在の宮司が開祖時より59代目にあたり、そのことは県内はもとより、全国的にも有名でマスコミにも何度も取り上げられているところです。朝鮮半島からの渡来人の里としてすっかり有名になった日高市ですが、昨年の埼玉国体にあわせてJR高麗川駅前には、”日韓親善の塔”が1億円かけて建てられるなど、私から見るとすこし過熱気味に思えます。一方ではこの歴史遺産で観光振興と意気込む市長候補も現れています。(現在、日高は15日投票の市長選の真っ最中です)
高麗家のルーツを調べるには神社の成り立ちや、その歴史に触れる必要があります。そもそも日本には8万余の神社があるそうです。明治政府は維新後、全国の神社の頂点に伊勢神宮を置きました。祭神には天照大御神(あまてらすおおみかみ)がなり、祭主には天皇がなりました。神話を教育の中心に据え、教育勅語により教育を律し、軍人勅諭によって陸軍・海軍の兵士の忠誠心を律しました。この体制は大日本帝国憲法によって政治的に支えられ、天皇を元帥とする立憲君主制が布かれました。
この体制は敗戦後の天皇の人間宣言に引き続く新憲法の制定によって崩れ、司法・立法・行政が独立した議会制民主主義国家になりました。全国8万余の神社は神社庁のもとに束ねられる宗教法人になりました。しかし、靖国神社や護国神社はその祭神に日清・日露戦争以来の戦没者が祀られており、高麗神社のような古代天皇につながる権力者(高麗王若光=天つ神)や、または地方の権力者(猿田彦=国つ神)を祭神に祀る神社とは異なります。われわれが新年のはじめに訪れる神社への参拝は、先祖への感謝と明日への幸せを願うものですが、いずれにしても心の問題であり、人間の良心に関わるものではないでしょうか。現在の憲法は国民の良心に立ち入ることを禁じています。
10数年前に靖国神社違憲訴訟が問題になりましたが、これは”信教への国家の援助”を禁止した現行憲法があるのに、玉串料の公金支出を行った事例が問題にされたものです。原告は浄土真宗のお坊さんだったり、また別の事例ではキリスト教会の牧師さんでした。靖国神社の違憲訴訟のもうひとつの問題点は、死亡した自衛隊員を靖国神社に合祀したのですが、それが亡くなった隊員の奥さんの了解なしに自衛隊の任意団体の申請で行われたことです。しかし奥さんはご主人が靖国神社に”祭神”として祀られたことに納得せず、これも国が任意団体を隠れ蓑にして憲法違反をおこなったとして争われました。
韓国戦争博物館に行ったことを最初に書きましたが、戦争をどう扱い、どう国民に知らせていくかという問題を考えさせられました。日本では1909年,韓国統監であった伊藤博文を殺害した独立運動家、安重根(キリスト教徒で教師)は”国賊”ですが、韓国では”英雄”です。豊臣秀吉の朝鮮征伐は日本では武勇伝ですが、韓国では侵略者です。
続く
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