こだま通信34号 2005年9月7日

我が家の庭に面した南側は、うっそうとした雑木林と墓地になっています。この雑木林の一部が竹林だったのですが、ごく最近、土地所有者の手で竹はいっさい掘り取られ、その跡に地中深くコンクリート製の仕切り板が埋め込まれました。近所の人のお話では、隣接する墓地の所有者であるお寺さんから竹根の侵入に関してクレームが出され、やむなく工事の運びになったそうです。かっては貴重な燃料供給源であった雑木林ですが、地権者は複数に亘り、事情も変わっているためその管理も大変なようです。
 
 渡来人伝説(高麗家のルーツ)U

 さて、前回より渡来人伝説(高麗家のルーツ)の話が始まりました。このお話は古代史という歴史学の分類に入るそうで私にようなしろうとが入りこむ世界ではないのですが、その時代を表す文献は極端に少なく、諸説ふんぷん夢とロマンにあふれた世界なのだそうです。その一方では考古学的な発掘が盛んに行われた結果、高松塚古墳など歴史的遺構の発見が相次いでおりその解釈をめぐって日韓、日中の研究者を巻き込んだ論争が活発に行われたそうです。

そのような「古代史ブーム」はすでに去っていますが、博物館や郷土資料館の肝いりでこの時代に関する資料や遺品が気軽に見たり聞いたりできるようになっています。平均余命が延びた今日、年金予備軍や年金生活者も急増し、生涯学習が大きく叫ばれています。講演会や特別展示会も多く開催されています。インターネット網を駆使した「XX研究会」「○○歴史学会」などのサイトも増えています。そのせいか、私のような「にわか歴史愛好者」も急増の兆しが見えています。 

 こだま通信の読者である濱田氏よりおたよりをいただきました。「今回のこだま通信には新井氏のことがでていました。僕が武蔵台に住んでいたとき拙宅の近くに住んでいて、西台山の取り組みにも参加した新井孝重氏は歴史家、獨協大学の教員です。僕は『中世悪党の研究』という著書をいただきました。最近『黒田悪党たちの中世史』という書題の著書がNHK出版の新聞広告に出ていました。おもしろそうだから購入しようと思っています。歯医者の新井さんとはいとこどおしだと当時いっていました。新井一族は名士が多いようですね。」 新井氏由来については日高市史にも載っていることですが、金達寿の紀行文、「日本の中の朝鮮文化=相模、武蔵、上野、房総ほか=講談社学術文庫」の中で(高麗氏族の別派)として高麗井(駒井)、小谷野、金子などの名前と共に新井氏の名前が出てきます。小谷野は日高選出の現埼玉県議、金子姓はJR八高線の金子駅の由来に関係があります。

濱田氏のいう「西台山の取り組み」とは、武蔵台団地に隣接する西武鉄道の車両検収工場の建設に反対した住民運動のことです。工場はすでに完成し、稼動状態ですが、この工場の建っている敷地がかって小高い岩山で、その名前が「西台山」と言っていたのです。「台」とはこの地域の大字(おおあざ)名が「台」であることから命名されたものと思われます。この武蔵台を取り巻く一帯の土地所有者は「国際興業」や「西武不動産」、「コクド」で、住民運動はこれら西武王国の堤康次郎氏を相手どって起こされたものでした。西武はタダ同然で広大な山林を入手し、住宅団地の建設を計画し、山林を削り取って平地化しました。住宅建設の名目で国の認可を取り、造成後はゴルフ場にして大もうけをしたケースもありました。

 この西台山のすぐ近くに「木綿沢」という名前のバス停があります。このバス停の近くに「木綿沢の碑」と日高市教育委員会が立てた「解説板」があります。文面は苔むしているため判然としませんが、「木綿沢」由来記が立てられています。この内容は図書館にある日高市史料に載っていまして、日高市に隣接している飯能市方面から峠越えをして秩父方面に至る街道の由来が記されています。「木綿沢」の木綿とは繊維の「もめん」のことでしょうか。秩父地方では江戸時代には木綿が生産され、その流通路としてこの街道が存在したのでしょう。赤みを帯びた布地に仕上げるのに鉄分の多い水が使われます。そういえば木綿沢の近くには泉があり、その泉の周囲は真っ赤に染まった土が堆積しています。この木綿沢バス停は団地の十字路に位置し、北へは西武線高麗駅、西へは秩父方面、東はすこし下って西武秩父線のガードをくぐり国道299号にぶつかります。その脇には「台滝不動尊」があり、境内には弘法大師の銅像が建っています。299を秩父方面に歩いたところ、旧道を入ったところに新井氏の本家があります。

続く

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追伸

衆議院議員の選挙投票日まで1週間を切りました。「小泉首相の郵政民営化論のインチキを分かりやすく解き明かすページ」の紹介を通信の読者からいただきました。
http://www.jcp.or.jp/mlmagazine/050904/ox.pdf