こだま通信32号 2005年7月3日

 いよいよ梅雨です。みなさまにはいかがお過ごしですか。私はこの季節が始まると大変苦手なことがあります。日高の家に帰ると痰が胸の中にたまり夜中に息苦しくなるのです。原因ははっきりしていまして、ハウスダストにカビが繁殖し、夜間それを吸い込むことで喘息になるのです。ここ富士見の家より毎週末に日高に帰っておりますが、その間は部屋は閉じきって真っ暗、この季節は気温が上がり適度な湿気にカビどもがわんさか繁殖し、胞子を吹き出しているのです。アレルゲンであるそれを吸い込むものですから一晩で喘息になります。医師より処方された吸入器で一息つけ
るのですが、これも連用しますと心臓に良くないと言われております。
 医師の指示で念入りに掃除機をかけておけばそのようなことは防げるのですが、1年が過ぎまたやってくる梅雨の初期はそのようなことは忘れていまして、一度その洗礼を受けてから対処するのです。我ながら計画性のなさにあきれています。話は変わりますが、先日のNHKの番組「ご近所の底力(そこぢから)」を見ておりましたら、現在の日本で空き家になっているのは9軒に1軒だそうです。庭の草はぼうぼう、泥棒が住んでる、火事が心配等々、ご近所に多大な心配をかけているご家庭が増えているのだそうです。

日高市の歴史−古代朝鮮史との関わり
 
 さて今回より「日高市の歴史−古代朝鮮史との関わり」と題してお話をお送りします。このような話題を取り上げました背景には、埼玉県日高市が「渡来人の郷」として紹介されていることがあります。市のほうでもホームページに堂々とそのようなことを載せておりまして、高麗神社という有名な神社でもホームページを通じて古代朝鮮とのつながりを宣伝をしております。 また日高市の友好姉妹都市が韓国の烏山市(オサン市)でして、在日の朝鮮人の方たちが集う場所としても知られています。高麗神社の記帳には歴代の政治家や作家の方の名前も多いそうで、首相を目指す政治家の信仰が厚いと言われています。

そのような歴史を持った日高市なのですが、この渡来人伝説に私が興味を持ったきっかけは次ぎのようないきさつがあります。 そもそもこのこだま通信で最初に取り上げましたのが「韓国」の話題でした。私の「韓国旅行」は過去遡りますと10回ぐらいになっておりまして、韓国人の友人の話題もとりあげてきました。また朝鮮の民話や在日朝鮮人作家の本も取り上げてみました。キムチや焼肉の話もさせていただきました。韓国旅行の失敗談もさせていただきました。取り上げてきた話題は私の自慢話や体験談になっているわけですが、韓国の方とお付き合いをしていきますと、必ずぶつかる困ったことがあるのです。 そのことからまずお話したいと思います。

過去の話になって恐縮ですが、朝鮮半島は一時期日本の植民地になっていた時代がありました。そのもっと前、新羅(しらぎ)と言う国がありまして、その統一された新羅という国になる前に、高句麗、百済、新羅という国に分かれていた時代がありました。日本書紀という古い本に書かれていたころの話です。困った話というのはどうもこのころの対立のしこりが今でも朝鮮人の方たちに残っているということです。同族・同郷の意識が潜在的に強く、学会内でも経済界でもその構図が明白で、出身地による対立が色濃く出ていることです。したがって私にとって何が困るかというと、どなたと仲良くすればいいかということを、それらの尺度で測らなければならないことです。現在の日本人社会では少なくなってきた(多分、戦後の日本では)出身や門地による差別が、韓国人社会ではあるようなのです。

 さて渡来人伝説ですが、そもそも渡来人ということばは最近の教科書で使われていることばです。私達の年代の中学の教科書では「帰化人」ということばで勉強したと思います。渡来人ということばに接したとき、私は非常な違和感を持ちました。私達の世代は、近現代史をきちんと学んでいませんから、憲法制定のいきさつについてはさまざまな理解が生じています。この話はきちんと説明すればはっきりすることでして、これは教育の問題だと思っています。しかし古代の話になりますと、これは頼る文献が極めて少ない、ここに素人歴史家が活躍できる場が誕生するわけです。日本書紀や古事記、続日本紀などの古典の研究家はいらっしゃるのですが、日高市の高麗神社の由来を調べてみますとそこに書かれていることの解釈をめぐって完全に二つの立場がある、ということがわかりました。(次回に続く)


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