Date: Fri, 28 Nov 2003
こだま通信12号
皆様こんにちは、いよいよ年の瀬も迫ってきました。この一年間いかがでしたか。春、夏、秋、冬と季節は一巡しさまざまな思い出を残してくれました。私のこだま通信も丸一年が経ち、韓国事情、下町空襲のふたつの話題をお送りすることができました。今回は東京大空襲の話題(最終回)です。すこし長すぎるかもしれませんがお読みください。
東京大空襲
前回、「東京大空爆」の本の紹介をさせていただいたが、この通信の読者K氏から感想を寄せていただいた。以下引用させていただく。「「東京大空襲」ではない「東京大空爆」を興味深く読みました。読んでみて、あらためて戦争とは「死の商人」を儲けさせ、兵士も含め罪のない人々を犠牲にする愚行だと感じました。そして21世紀を迎えた今日、アメリカはイラクでその愚行を積み重ね、おろかな日本政府によって日本の若者の命が犠牲にされようとしています。」K氏は埼玉県日高市にお住まいで、某都市銀行を定年で退職され現在は地域の活動に情熱を傾けていらっしゃる方です。
K氏の言われる「死の商人」について私から補足させていただくと、この本の中では恐らくナパーム弾や焼夷弾の開発・製造に関わったスタンダード石油およびB29の開発・製造に関わったボーイング社のことを指しておられるのだと思う。当時、世界最大の石油資本であったスタンダード石油の副社長、R・ラッセルはこの種の兵器の開発責任者であった当時、東京大空襲に使われた焼夷弾M69を1942年に開発すると、何人かの化学者を伴いヨーロッパに売り込みに歩いています。彼はドイツがイギリス空爆に使った焼夷弾が都市住民の生活に大きな打撃を与えたことにヒントを得て、開発した焼夷弾をヨーロッパの戦線でも使うよう強く各国に働きかけていました。このときヨーロッパの戦線においてはドイツの家屋が石やコンクリートで固めた家であること、日本においては瓦葺きで木造家屋が密集しているところまで研究していたのです。
日本においては九州八幡をはじめとした全国の製鉄所や工場など、昼間にピンポイントで精密爆弾攻撃をかけることが当初の戦略目標でしたが、アメリカの軍事目標は次第に非戦闘員へ向けられていきました。関東地方では川崎、大田、日立など工場地帯から所沢や田無、亀有などに点在する戦車や飛行機工場、軍需省への攻撃からついには3月10日の下町大空襲へとエスカレートしていきました。これは日本各地で反撃を受け、被弾するB29が多くなり戦局を好転させることが難しくなってきたこと、日本の徹底抗戦が本格化し本土決戦を叫び出していたことをアメリカの戦争指導部が深く憂慮した結果であるという説があります。
グアムを午後7時ごろ飛び立ったB29の大編隊は富士山を目標に飛び、房総半島から回りこんで午前0時に本所、深川地区に侵入したのです。戦火は文京、港も含むものでしたが隅田川をはさんだ日本橋区、浅草区への攻撃が行われました。当時の本所区、深川区、日本橋区、浅草区には、合計36万発余の焼夷弾の雨を降らせたのです。この結果、当時東京にあった全建物の25%にあたる26万7171件の建物が焼け、その結果100万8千人の人々の家が奪われました。警視庁の調べでは83793人が爆撃で死亡、40918人が負傷しました。この夜、浅草にあった父方の祖父母(鈴吉・やす)の家は焼かれ、その後疎開暮らしが連綿と続くことになるとは誰もが予想しなかったと思います。
この東京大空襲を契機に爆撃理念は変化し、こののち名古屋、大阪、神戸をはじめとする70余都市への空爆が本格化していきました。4月には沖縄に米軍が上陸、8月には長崎・広島へ原爆投下、8月15日に日本は降伏しました。我が家の両親の戦後の辛酸についてはすでに書かせていただきました。また、私が深川に移ってからの経験についても触れさせていただきました。東京大空襲の記録については今回紹介した本(光人社)のほかに、早乙女勝元著、図説「東京大空襲」(河出書房新社)、戦後の記録としては太平洋戦争研究会編、図説「アメリカ軍が撮影した占領下の日本」(同)があります。また太平洋戦争を通じた皇室記録として、高松宮日記(中央公論社)全八巻が、各界の方の証言・私の昭和史全六巻(学芸書林)など多数ノンフィクションとして出版されています。
今日残存するB29の全貌についてはインターネット版があります=>http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/ok_b29.museum.html。これは日本のアマチュア無線家JA2TKOの作成したHPの一部です。アメリカ・ワシントンDCにあるスミソニアン博物館に、原爆投下をしたB29(エノラ・ゲイ)が保存されていますが、2003年11月全面修復され再展示されることになった、と最近のニュースが報じています。北国新聞http://www.hokkoku.co.jp/によればスミソニアンの展示は戦争の悲惨さを強調しすぎる、という退役軍人団体の圧力で内容が縮小されるなどの報道があります(同HP、11月27日付けFlash24)。
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