Thu, 7 Aug 2003
こだま通信 弟8号
皆様、暑中お見舞い申し上げます。長雨が心配されましたが、かっと照りつける太陽の日差しはなぜかほっとするこのごろです。ナツバテ防止にはキムチがいいようです。キムチに「しその葉」を刻んで混ぜ、ごはんに乗せてたべると食欲が出ます。さて今回は「韓国の歴史教科書」について書いてみます。
○ 韓国の友人であるC氏が話をしてくれた中に韓国の歴史がある。彼曰く「朝鮮民族の祖先はクマだったのだ」この話は日本に帰ってきてから調べてみたが、実際に英文で書かれた朝鮮(Korea)の紹介本の中にあり、おもしろい神話があるものだと記憶している。インターネットで「朝鮮 歴史 クマ」というキーワードで検索すると韓国の古代史として以下のようなストーリーを拾うことができる。
○ 4300年前のこと、天帝の子、桓雄が3000名の従者をひきいて、天上から下界にくだってきた。桓雄が降臨した場所は、朝鮮半島の白頭山(北朝鮮)であった。彼は、風神、雨神、雷神などに命じて、自然の秩序を定め、農業を興し、法を定め、道徳などの人間に関する決まりを定めた。そんな時、桓雄のところにクマとトラが人間になりたいと懇願してきた。そこで、「ヨモギとニンニクを食べ、100日間、太陽の光にあたらない洞窟の中で暮らせば人間になれる」と教えた。2匹は、洞窟の中で、人間になるための生活を始めた。しかし、トラは、そのような生活に我慢できず、途中で洞窟から逃げ出してしまった。しかし、クマは教えを守り、遂に美しい女になることができたと言う。しかし、クマは、今度は結婚の相手がなく、悩み始める。そこで、クマを憐れんだ桓雄は、クマを妻に迎えて夫婦となり、男児をもうけた。この子が朝鮮の創建者となる檀君である。 |
|
○ この話は檀君神話といって、韓国の歴史教科書の中では「我が民族が、最初に創建した国と当時の指導者たちについて理解しよう。」という一項があり、さらに「研究 壇君が生まれ、国をおこした話を調べ、発表してみよう」と子供たちを指導している。実際、前述の教科書の中では「壇君は阿斯逹に都を定め、古朝鮮を築いたという話が我々の祖先が書き残した歴史書に出ている。壇君は国をおこし、「広く人間のために利益をもたらす」という理念のもと、国を治めた。この時から、我が民族はひとつに団結しはじめ、しだいに広く勢力を伸ばしてきた。 壇君が国をおこした話は、我が民族の長い歴史を物語るとともに、民族の源流を考えさせる話として、今日まで大切に伝えられている。またこれは、我々が苦難に遭遇するたびに民族の精神的な柱となり、民族精神を目覚めさせてくれたのである。」と結んでいる。
○ 韓国の小学校は義務教育制度に支えられており、歴史教科書は国定教科書である。韓国は民族教育を行っているともいわれているが、民主主義についての記述もあり、その内容は団塊の世代といわれるわれわれが受けてきた社会科教育にかなり近いのではないか。1987年の民主化、1988年のソウルオリンピック以来、文化の開放が進められている韓国であるが、歴史教育は国の政治の重要な要となっている。日韓併合時代のみならず豊臣秀吉の朝鮮制圧にさかのぼった日本批判は歴史教科書の中でかなりの紙数を割いている。韓国による日本批判についてはわが国においては国民の一部に反発を招き、韓国批判の源ともなっているようです。日本における教科書検定の結果に対して毎回、韓国側から反発があり強烈な批判が出されます。また歴史教科書が政争の道具となっているのはみなさま良くご承知のとおりです。このように政治にほんろうされる教科書のあり方は韓国内の有識者から批判が出ており、極端な例では国定教科書も含め、国の統制は一切排除せよとの世論もあるようです。
○ 冒頭に述べたクマの話はユーモラスで楽しい話だとは思いませんか。その話に続く壇君神話は国づくりの基本がどこにあるのかを子どもたちに問いかけ、民族の団結を説いています。キリスト教ではアダムのあばら骨を取り出して女のイブが生まれたと教え、処女懐妊の話が教会で教えられます。しかし国の起源・民族の団結という神話的要素はどうなっているのでしょうか。わが日本では「日本書紀」のなかで最初に登場するイザナギの尊・イザナミの尊による日本の国生み・神生みが終わりその後、国を作った神武天皇に始まる歴代天皇による統治という話が戦前の教科書に載っていました。子供の読むおとぎばなしにはありもしない話がまことしやかに語られ、サンタクロースがそりに引かれて良い子のところにプレゼントを持ってくるのだよ、と教える親が大多数ではないでしょうか。大事なことはそのような説話的なストーリーの中に、子供を育て世の中に送り出している大人の期待が込められていることです。
○ 話はかわりますが、今度の家はソーラー湯沸し器がついています。だいたい風呂桶一杯分のお湯が取れるのですが昨日は70度近いお湯が出ました。もちろん水でうめますが、なにか得した気分で幸せです。
次回からは「私が育った町深川:3月10日東京大空襲の焼け跡をたどる」をつづってみたいと思います。