日高と天皇

第6回 本土決戦と教育部門の満州移動命令

 中国を経てフィリピン方面など飛行部隊の満州国からの転出は続き、その後昭和19年12月末には在満飛行部隊は奉天防空戦闘に従事する飛行部隊のみとなった。対ソ持久戦の準備が進められる中、軍備の増強が行われる。しかしその戦法は玉砕とし、国境の死守を命ぜられるようになる(20年1月、関東軍作成・大本営に提出)航空機は特攻に特化し、その訓練も熾烈を極めた。しかし資材の逼迫は苛烈を極め、在満邦人への精神的影響の考慮なども重要になっていた。戦争指導に当たっていた大本営は帝国陸海軍作戦計画大綱を見直す。本土防衛態勢確立と称し、大本営は天号作戦を進めた。これは後に沖縄戦、東シナ海沿岸戦などにつながる。これに並行して大本営は内地防衛軍の戦闘序列を定めた(決号作戦)。4月1日、米軍沖縄上陸、大本営は航空戦力の再編を行った。本土決戦の準備である。このころに陸軍航空士官学校の操縦教育部門の満州移動を命令する。内地および満州において操縦訓練を受けていたものが、決号作戦における決戦戦力になったのである。

 「かくて、満州は北辺における持久とともに、わが航空兵力造成の重要な一翼を担うことになった」と同書は記している。この記述にある陸軍航空士官学校には高萩飛行場が含まれていたことは後述する。私見であるが操縦教育訓練部門を移動させたのは欺瞞ではないか。一方では満州における航空兵力の不足があり、極めて不安定な支配体制であったのであるから、これは内には航空兵力養成に名を借り、関東軍に対しては「兵力増強}の面子を立てた「水増し作戦」でなかったのか。この高萩飛行場機材移動の様子は横田氏の著書「ふるさとの記憶」に詳しい。余談になるが、私の古い知人に法村香音子という人がいる。この方のお父さんは医者でお母さんは看護婦であったが、日本の敗戦を機に家族ぐるみで中国共産党の八路軍に捉えられ、中国革命のドラマに組み込まれていく物語「小さな長征(子供が見た中国の内戦・八路軍従軍)社会思想社」を著している。1931年の満州事変以来、1934年の長征、1937年日中戦争で中国共産党八路軍と国民党の共同戦線(第二次国共合作)、1946年の国共内戦への展開から1949年の中華人民共和国成立という歴史ドラマの一断面を捉えた作品である。 

 時代は東条内閣から小磯内閣に代わっていた。神風特攻隊も登場していた。これら教育隊の訓練内容についての記述がさらに続く。操縦訓練は航空戦からソ連機甲部隊に対する訓練に変わり「超低空飛行、夜間飛行、対戦闘機戦闘、「タ」弾、15キロ弾による爆撃訓練に励んだ」と記されている。特に目を付けられたのは教官で相当の熟練者であったから、特攻精神の注入が特別に図られその訓練に力が入れられたと記されている。前出の横田氏も飛行機と一緒に満州に行かれた、と書かれているのでそのあたりの話は具体的にご存知ではないか。このような状況であったため、高萩飛行場への天皇行幸も計画されず、また天皇は国体護持のため全精力を傾注できたのではないか。 この高萩飛行場の人員・機材移動に関し、もうひとつの証言がある。それは前出の「偕行社」の協力による「陸軍士官学校」の中の記述である。

 この本は高萩飛行場=修武台分校および本校から送られた飛行機、生徒・教官(約1000名)について特別に稿を起こし、満州への輸送・配属の状況、航空訓練の様子などについて詳述している。さらに敗戦とともにいち早く内地への生徒達の移動の様子も描かれている。このあたりの様子は藤原ていの「流れる星は生きている」の邦人の塗炭の苦しみでの帰還の様子とは対照的である。軍幹部は内地への「報告」と称して飛行機で本土に帰り、生徒たちは釜山経由で輸送船「興安丸」などに乗り修武台および各地解散場所へ帰ったと記されている。しかし一部(約100名)はソ連軍に捕まり、極寒の地に抑留生活を送ることになる。持ちこまれた機材についての消息は詳しく触れられていない。士官学校の歴史を美辞麗句でまとめた同書の中に、自決した将校への追悼の記述はあっても、民草の苦しみに触れた記述は無いのはなぜか。

 戦後、GHQとの取引で天皇が免責されたことはNHKブックスでも暴露された。この本は1997年6月に放送されたNHKスペシャル『昭和天皇二つの「独白録」』の内容を中心に書き下ろされた本。マッカーサーの軍事秘書官ボナー・フェラーズの日記や書簡など(「フェラーズ文書」)を発見し、その中に寺崎英成「昭和天皇独白録」の英語版とでもいうべきものを探し当て公開したものである。この本では、その他にもフェラーズの細かな動きを再構成していて、太平洋戦争の後期から占領期にかけての事情が記されている。フェラーズは、戦争責任 ─ 厳密にいえばアメリカに対する戦争責任 ─ のすべてを東条に押しつけることによって、天皇の免責をはかることを日本政府要人に示唆するとともに、天皇が「シロ」であることを、日本側で「論証」してくれるように要望したのである。最近の研究では「昭和天皇独白録」は東京裁判における「天皇の証言」として日本政府や天皇の側近グループがまとめたもので、東京裁判を東条訴追に絞り、戦後の日本統治をGHQ主導へとつなげたものと分析されている。(続く)

この稿参考図書(前回と重複分は省略)

流れる星は生きている 藤原てい 中公文庫 日高・飯能民主文庫蔵
小さな長征(子供が見た中国の内戦・八路軍従軍) 法村香音子 社会思想社 日高・飯能民主文庫蔵
昭和天皇二つの「独白録」 東野 真 (著) 日本放送出版協会  日高・飯能民主文庫蔵

第5回へ  第7回へ

掲載内容に関し、無断転載・リンクを禁じます 内容に関する問い合わせ・ご意見は watasin_fujimi を @yahoo.co.jp に付けたアドレスへお願いします。(spam 防止)